
けないとわからなくなると、思うようになりました、齢が明けて平成六年三月、手話で皆さんと歌いました。
「春が来た、春が来た、どこに来た」なつかしい歌でした。私は心の中で歌いました、「春が来た、春は私の心の中に来た」と。春はまだ浅い三月、外は寒かったですが教室の中はポカポカでした。平成六年度も迷わず続けています。第二土曜日と第四土曜日の一ヵ月二回の講習会ですが、毎回は出られないのが残念です。
昨年十一月七日、この日は忘れられない日でございます。それは「母をたたえる会」に招待していただき、身に余る光栄でございました。千葉ろう学校の「いのはな会」の役員の皆さま方、苦労をともにした主人も一緒にヤクルトホールに入りました。私は夢をみているようでした。夢なら醒めないでと願っておりました。
今西孝雄さまのお話しをお聞きしているとき、胸がいっぱいになり涙が出てきました。今から三十五年前、息子が小学部に入ったとき、寄宿舎にお世話になって家へ帰るときの心配と悲しみの涙とはうってかわった感激の涙でございました。皆さんから、「おめでとうございます」と言われても何も申しあげられず、ただ頭を下げるばかりでした。
いただいた楯と「ハマナスのうた第四集」は、末の末まで大切にいたします、なお胸につけてくださったハマナスの花も忘れることはできません。
息子は結婚しておりませんが就職して二十二年。幸い悪の道へも入らず、よくここまで頑張ってくれたと思っています、「ああよかった、これが最高の幸せだ」と主人ともよく詰ます。
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